ハワイより愛をこめて | シネマ日記

人生はシネマのようなもの。ハワイはオアフ島在住の主婦が大好きな映画のことや日常について綴ります

「プレイボーイ」を地で行った自由人、ヒュー・ヘフナー他界

男性向けの雑誌プレイボーイの創始者、ヒュー・ヘフナーが自宅のプレイボーイマンションで静かに息を引き取った、という記事が出ていました。享年91才。

 

ヘフナーは1953年に雑誌プレイボーイを創刊。それまでは子ども用のアクティビティの雑誌の編集をしていたそうです。その前はコピーライターをしたり、もともと編集の才能があった人だったのでしょう。ワシントンポストによると、創刊の際には$500の持ち金と母親から借りた$600を含む数千ドルの借金をしたそうですが、数年後には雑誌は大成功を収めミリオナーになりました。当時の米国のビジネスマンとしては、ディズニーの創設者ウォルト・ディズニーと比較されるほどの人物だと言われています。

 

私の記憶に新しいヘフナーは10年程前に放映されていたテレビのリアリティショー「The Girl Next Door(ガールネクストドア)」の中で、自宅のプレイボーイマンションで3人の若いパツキン美女たちと暮らすおじいさん。なぜかこの番組に嵌っていた真面目な理系の友人宅でこの番組を観せられ、お城のような豪邸でバイアグラを飲み孫くらい年齢差のあるセクシーなヤンキー娘と恋愛を繰り広げるおじいさんはどこか憎めず、「映画を地でいくような人だなぁ」と思いながら観ていました。しかし、世の男性が羨むプレイボーイな生活を地でいったヘフナーが童貞を失ったのは22才と遅咲きだったらしいです。

 

米カリフォルニアのプレイボーイマンションには文字通り美しいプレイガールたちが住み、数多くの著名人やミュージシャン、映画俳優が訪れ、ピーク時は毎夜のようにパーティーが繰り広げられる賑やかな社交場だったそうです。なにかで読んだのは、地下に続く道があり有名人がいつでもシークレットに来れるようになっていたらしく、その中にはジャック・ニコルソンのような名優もいたとか。このマンションは2016年に100ミリオンドル(一億ドル)で売却されましたが、売却後もヘフナーが生涯住んでも良いという契約上、亡くなったのも「プレイボーイマンション」だったようです。

 

米国ではアダルト向けの男性誌が正式に創刊されたのはプレイボーイが初めてのことだったそうです。プレイボーイと言えば女性の裸が掲載されている成人男性向けの雑誌、その創始者の彼がもとは子ども向けの雑誌の編集をしていたとは意外でした。ビジネスの他には公民権の活動家としても知られており筋金入りのリベラル派の自由人でもあったようです。

 

昨年はプレイボーイがヌードの掲載をしないことを発表し「ヌードがないプレイボーイって意味あるの?」と話題になっていましたが、今年になってまたそれを撤回。テクノロジーの時代になりヌード写真も雑誌をコソコソ購入しなくてもどこでもみることができ、人々が雑誌もあまり手に取らなくなった今、ひとつのカルチャーを作り上げた人が亡くなり、時代がまた変わるのですね。

 

プレイボーイには一度もお世話になっていませんがやはり寂しいです。

R.I.P ヒュー・ヘフナー

 

#映画 #ヒューヘフナー死去 #プレイボーイ